Il tempo recupera. |
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その日の天候は、まるでジャンの心の中を示しているようだった。 「昨日からの雨は次第に雨脚を増し、風を伴った大雨が続くでしょうー…ってな」 部屋の電気をつける気もしなくて、どさりと身を投げ出すようにソファに深々と腰掛ける。一人がけのそれの前にはテーブルがあり、その上にお行儀悪く組んだ足を乗せた。 くちゃくちゃとガムを噛む音と、きつい雨の音と屋敷の周りの木々を揺らす風の音だけが室内に響いている。それと同じくジャンの心も荒れ模様だった。何と胸くそ悪いことだろう。気分が滅入るのと共に、ジャンのラッキーも下がっているかのようだ。 「くそっ。こんなことなら親父んとこに転がり込んどきゃよかった……!」 どんなに不作法な真似をしても咎める声のないことに落ち込む自分がいる。苛立ちをぶつけるように上等な革靴で、大きな音を立ててテーブルを蹴倒した。イヴァンの言葉を借りるなら、ファッキン、だぜ、くそっ。 ジャンはスーツが皺になるのもかまわず、横になる。このまま寝入ってさっさと朝を―――いっそのこと、明後日の朝にまで飛んでしまいたかった。 事の始まりは、ルキーノの出張だ。 行き先はシカゴ―――よりも東のデトロイト。先方の強い要望により、ルキーノが部下を連れて向かうことになったのだ。しっかしよりにもよって車に全く興味のないルキーノを何でまた、と不思議がっていたのだが、先方のお嬢さんがルキーノに大変お熱らしいと耳にして、納得がいった。 そのときはまだジャンも、「モテる男は大変ネー」などと軽口も叩けていたのだ。だが、問題は日程で。 ジャンの誕生日にかかるそれを、ルキーノは最後まで拒否し続け―――結局、押し通せなかった。 『いいか!俺仕切りじゃないカポの誕生日パーティなんて、認めんからな!』と、それこそ列車に乗る直前まで言い続け、部下に背中を押されながら何とか乗り込んだルキーノを、ベルナルドが苦笑していたのはつい五日ほど前のことだ。『何もこんな時でなくてもいいのにな』と何とも言えない顔で笑ってジャンを見ていた。 結局、ジャンの誕生日のパーティは、予定の関係もあり幹部が全員出席できる日と決まったのだけれど。まあ、野外パーティを想定していたので、雨天中止となっていただろうと今ならば言えるけれど。 「今頃はルキーノ、列車の中で閉じ込められてんのかな…」 ジャンは左腕の手首にはまった腕時計を見て確かめる。 必要以上に居ることはないだろと、ほぼとって返すような日程を組んでしまったのはさすがルキーノと言ったところだろうか。付き合わされる部下は散々だろうが。 だから、ジャンの誕生日には間に合うはずだった、のだ。この、雨さえなければ。 時差はどれくらいだっただろかとぼんやり考え、首を振った。それがわかったところで、まだホテルならともかく列車の中だ。電話の一つかけられるわけでもない。 最初の日は、いつも横にいる男がいないのが新鮮で面白がっていられた。けれど、ふとした瞬間に「ルキーノ」とうっかり彼を呼んでしまう自分がいることに気がつくと、苦笑いが顔にのぼるようになり―――そして、列車の遅延報告でトドメ、だ。 それでも、態度には出さないようしていたのだが、仲間には隠せるはずもなく。ジュリオは心配して机の周りをうろうろと回り、イヴァンは屋台で売られているジャンクフードを山のように持ち込み、ベルナルドはせめて自分たちだけでも集まって祝おうかと気を遣ってくれる始末だった。何と情けないことだろう。 今日も、アレッサンドロに家に来ないかと誘われたが、そんな気にもなれず―――今に至る。 「……どこがピッカピカなんだよ、俺」 仲間や親父にまで心配させて、何がカポだ。ぼそりと呟くとそれが本当のことに思えて、さらに落ち込んでしまう。ルキーノがいない―――しかも、こんな日に、だ。それがこんなにも辛いとは思わなかった。 今まで、誕生日という物を特別視していたことはない。祝われたら、ありがとうと返す、それだけの日。だから、平気だと思っていたのに、今になってそれがジャンを蝕んでいく。 「だっせー。……だっせーだろ!くそっ!!」 本日何度目かのファックを言い捨てて、ジャンは反動をつけて立ち上がった。時刻はもうすぐ日を変わろうとしている。こんな気持ちのまま、終えるのは嫌だった。あの男が祝うと言ってくれた、この日を。 せめて、体だけでもさっぱりさせようと、のろのろと風呂に向かおうと立ち上がる。ドアに手をかけようとしたそのとき、ジャンの体に緊張が走った。 車のブレーキ音が聞こえた気がした。それから、まっすぐに屋敷の最深部であるここへと向かってくる、靴音。 そろり、と腰に入れた銃を手する。トリガーに手をかけドアに近寄ろうとして、ジャンは弾が入っていないことに気がついた。弾はベッドの横にあるテーブルの引き出しだ。 (こんな時までついてねえのかよ!) 取りに行こうかと躊躇するがすぐに盛大な足音が聞こえ、その後すぐにドアが蹴破られるんじゃないかという勢いで、開いた。 「カッツオ!!なんだこの雨は!ドシャ降りじゃねえか!!」 イタリア語の罵倒と共に姿を現したのは、ジャンが見上げるほどの長身の影。その影がドアの横に手を伸ばしパチンと明かりが灯される。いきなり明るくなった視界にジャンは目を細め、顔に銃を持った手をかざした。 「…ジャン?起きてたのか」 あんな大きな声を出しておいて起きてたかもないだろうに、珍しく少々歯切れの悪い調子でジャンを見るその男は、赤い髪と仕立てられたスーツやコートをべっしょりと雨で濡らしたルキーノだった。 雨に濡れた髪から雫が垂れるのが気になるのか左手で前髪をかきあげ、右手にはセロハン状の何かと紙で包まれた物を下に向けて持っており、そこからも水がひっきりなしに落ちていた。よくよく見ると、ズボンの裾には見事なまでに泥の跳ねが地図を描いているようだ。しかもそこ、何か破れてねえ? 「ルキーノ、何であんた…そんな濡れてんだ?と、とりあえず、何か拭くもん、取ってくる」 慌てて銃を放り出してバスルームへと向かう足を、でかい手が止めた。 「ジャン、そんなのは後でいい。着替えてから……じゃ、もう時間がないな」 時間?とジャンが首を傾げる暇もなく、ルキーノが右手に持っていた花束をジャンに向けた。ピンク色の淡いバラ。咲き誇ったそれは、見事なのだろう―――普段ならば。 「……ヴァッファンクーロ…」 地の底から響き渡る、呪いのような声でルキーノが呟く。 花は散っていた。見ただけで最高級のベルベットのような手触りだとわかる花びらは、何枚も内側の紙に貼り付いている。足りない分は、ルキーノの来た跡をたどれば、童話の兄妹が家に帰るために落とした目印のように存在を主張していることだろう。 花弁の取れてしまった花の集まりは、元の形が想像できるだけに何とも間抜けだった。 「くそっ!」 ルキーノが大きな音を立てて、足を踏み鳴らした。それをなだめるように、ジャンはルキーノに疑問を尋ねる。 「な、なあ、ルキーノ。あんた、どうやって帰ってきたんだ?列車に…乗ってたんだろ?」 「…その様子じゃ、遅延の話は聞いているな。この雨と風で、どこだかの木が倒れて線路をふさいでいるとかいう、馬鹿な話だ。その除去作業も芳しくないらしくてな。待ってられんから、車を借りて飛び出してきた」 「はあっ!?く、車って…まさか、デイバンまで!?」 「ここはN.Yかフロリダか?デトロイトを何だと思ってる」 「に、したって…あんた……」 確かにデトロイトは名の知れた車の街だ。むしろ、車があったからこそ今のデトロイトがあるとも言える。けれど、とジャンはルキーノをまじまじと見つめた。 その男は全身バケツ五杯分くらいぶっかけられたような濡れたスーツ姿のまま、下に水溜まりを作っている。丁寧に磨き上げられた靴は歩く度にちゃぽちゃぽ水の入った花瓶を振る音がして、整えられているはずの髪の毛は風と雨で貼り付いてぐしゃぐしゃだ。車で帰ってきただけと軽くルキーノは言ったが、それだけだとは到底思えない。多分、他にも何かアクシデントがあったはずだ。 それくらい、見るも無惨な格好。 「バ、バッカじゃねーの!?デトロイトからここまで、どれだけあると思ってんだよ!?」 「―――それでも、だ。そうでもしなきゃ、間に合わなかった」 左手の時計を貼り付いたスーツをまくり上げてルキーノが見た。つられてジャンも自分の時計を見てみる。 11時57分。10月11日まで、あと3分だった。 花びらが歯抜けのバラの花束を見てルキーノは眉をしかめていたが、丁寧にそれを持ち直すと、ジャンに向かって膝をつく。何よりも恭しい者を見るように、見つめてくる。 「Buon compleanno、GianCarlo. お前が生まれてきてくれた日だってのに、な。用意できたのは、こんな物だけだ。―――すまん」 そっと差し出される花束。それを持つ濡れ鼠の男がジャンを見上げている。ただ、自嘲するように笑う顔すら男前なのは、相変わらずだったが。 ジャンの胸の内を何かがこみ上げてくる。 「……なあ、あんた、傘は?」 「傘?―――そういや、忘れてたな。まあ、この雨と風だ…たいした役には……っておいっ!ジャン!?」 たまらなかった。もう耐えきれなかった。ジャンは自分が濡れるのもかまわず、ルキーノに抱きついた。 「ジャン、こらっ…離れろ。お前まで濡れちまうだろう!?」 「くそっ!やっぱ…やっぱあんた、サイコーだ…」 さっきまでの最悪な気分が嘘のように、笑いがこみ上げてくる。 「………ジャン?」 「濡れる?ははっ。そんなの別に構わねえよ。だって、あんた俺の誕生日だから……そんな…そんな格好になってまで、祝いに戻って来てくれたんだろ?」 反論なんて言わせない。いつものルキーノらしからぬボロボロの格好。手にある花束も最高級なのに歯抜けだなんて、お粗末すぎる。 それでも、だからこそ―――ジャンは嬉しかった。 何よりもメンツと身だしなみを大事にするルキーノが、そんなになってまで間に合わそうと躍起になってくれた。それだけで、ここ数日の下降っぷりなんて、全部チャラだ。 冷えたルキーノの体がジャンに押し付けられる。かさりとべちゃりの中間のような音がして、CR-5と刻まれた右手が握っていた花束は、床に置かれた。ごつい腕がそっとジャンに回される。 「……遅くなって、悪かった」 「ああ。―――でも、ちゃんと間に合ったから、勘弁してやるよ」 口の端を上げて、ジャンは膝をついてこちらを見ている赤毛の男を見下ろした。 この男が傍にいる。ただそれだけで、こんなにも気分が高揚する。ルキーノ、と呟きもう一度、強く抱きついた。 「……熱い抱擁のお返しに、もっと熱いキスでも贈りたいところなんだが…その前に風呂、だな」 いつもならば場所やジャンの事など関係なしに事を進めるというのに、珍しくルキーノがそんなことを言う。ジャンがこれ以上濡れることを気にしてなのだろう。別にいいのに、と考えた途端、視界が横になった。 「……へ?」 「ほら、一緒に行くぞ、お姫様」 「は?ちょっ…いいよっ!下ろせって!」 数秒の後に、ジャンは自分がどうなったのかを理解する。ルキーノの手が自分の肩と膝の裏を支えている。つまり、この体制はいわゆる――― 「主役をエスコートするのは、祝う側の特権だろ?」 そんな言葉と共に、いつものそこら中の女を悩殺するようなウインク。そんなもんには騙されねーよ!と何とか目を逸らし、ジャンは自分の左腕を飾る腕時計を指差した。 「あー、そ、そりゃ残念だな。もう、10日は過ぎちまったみたいだぜ?主役はどこかの誰かと交代だ」 「―――ジャン。頼むから埋め合わせくらい、させてくれ」 有無を言わせない傲慢さは形を潜め、懇願するかのような顔でルキーノがジャンを見る。いつものように偉そうに言われたのならばいくらでも反論できたというのに、そんなのは反則だ。 「………っ。…今日は休みじゃないって知ってる、よな?」 「ああ。一日遅れのパーティにご出席のため、予定を詰めてもらいますよ?ボス」 「あんたが、それを取り仕切ってくれるのけ?」 「Si` il mio capo」 軽いキスが恭しく口に贈られると共に、ルキーノがゆっくりとバスルームに向かって歩き出した。 しばらくして、パタンと音を立ててドアが閉まり、花束だけが部屋に残る。 いつの間にか外の雨と風の音は小さくなっていて、その内、バスルームから聞こえる声や水音にかき消されていった。 |
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遅れたけど、ジャン、誕生日おめでとう! いつまでもピッカピカのカポでいてください。 2009.10.12 オマケを追加しました(2009.10.13) |
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