Un giorno speciale


遅い昼食を携えて、車へと戻る。
最近、ばたばたと忙しい日が続いていて、何のかんのと昼辺りはまともにカフェで食事を取ることも出来ていない。それでも今日は、少し合間を見て屋台に寄れただけでもましなほうだった。
ホットドッグの入った袋を手に、道端に急いで止めた車の運転席へと回る。乗り込んだところでルキーノは違和感に気付いた。
「―――手を上げろ」
後頭部に押しつけられる、硬いそれ。しまった、と思う。よもやの白昼。最近忙しかったとは言え、警戒は怠っていなかったつもりだったのだが。
とりあえず大人しく手を上げようとして、ルームミラーで襲撃者と目が合ったのと、嗅ぎ慣れた匂いに気付いたのはほぼ同時だった。慌てて後ろを向く。
「―――ジャン!?」
「はーい、だいせいか〜い!正解者にはダイムを一本」
ジャンはぽいっと、ルキーノの後頭部に当てていた硬いダイムの束を放り投げた。
「おま…何でこんなところに」
「こんなところって、ここはデイバンで俺はラッキードッグなんだぜ?会える偶然は運次第って、な―――さっきまで狸親父たちとの化かし合いで、疲れたなー遅くなったけどプランゾでも取るか?と言ってたら、あんたが乗ってった車が見えたから、さ。こっそり鍵開けて忍び込んでみたワケ」
ちゃらちゃらとジャンがいつも持ち歩いている鍵開けセットを振る。
「お前な…そんなモンでこの車こじ開けたのか。ファミーリアの車だぞ。傷なんかつけてないだろうな?」
「つけるようなヘマ、するかよ。けど、つけてたらどうなるのけ?」
「そりゃあまあ、行儀の悪いわんわんをじっくりたっぷり躾直すだけだ」
「―――夜に?」
「野暮なこと聞くなよ」
くすくすとお互い軽口を叩いて笑いあう。こんな時間は久しぶりだった。ジャンと二人っきりで顔をつきあわせるだなんて、何日ぶりだろう。
ちょいちょいと手招きをして、ジャンを引き寄せる。座席に手をかけ身を乗り出したジャンに、ルキーノはそっとキスを仕掛けた。
ジャンの中は甘かった。
鼻にかかる声。上がる息。交わされる唾液と合わせる舌のざらざらとした味蕾が大変気持ちいい。
ジャンの小さい口の中に自分の舌をいっぱいに詰め込んで余すことなく舐め回す。それは、酸欠で苦しくなったジャンがルキーノの胸を叩くまで続けられた。
「………んっんんっ………ぷっはぁ。…はあはあ」
「おいおい、大丈夫か?」
「あんた…肺も、でかいんじゃないか…はあっ。よく、息が、続くよな…」
ジャンがそんな憎まれ口を叩いた。ルキーノからすれば、ジャンの肺活量と体力が少しばかり足りないんじゃないかと思うのだが、ジャンはあくまでも標準だと言い張るのでそこはいつも平行線だった。けれど、キス一つで翻弄される姿はいつも新鮮で、このままでもいいかなと思っている自分がいるのは、ジャンには秘密だ。
恨めしげにルキーノを見つめるジャンの目には涙がたまっていて、誘われているのかと思った。このまま、押し倒して全てを貪りたい衝動に駆られるが、そろそろタイムアップだ。
「―――ジャン、お前この後は?」
「あ?ああ。ベルナルドに報告した後、書類の山と午後の歓談が大歓迎でパレードに連れ出してくれる予定」
ジャンはそう言って苦笑する。多分お互いに相手が不足している。けれどその衝動のままに動くには制約が多すぎた。
「俺は、仕入れのチェックの後、店に顔を出して…部下との懇親会だ」
「あーら、残念。見事に予定が合わねえな。―――今日も日付は越えんの?」
ちらりと上目遣いでルキーノを見てくるジャンは、何だか小動物を見ているようなそんな気分になる。そう、まるでちっこいわんこを見るようなそんな。
「夜の予定を聞くだなんて、何だ?ご主人様のジュース、下のお口に欲しくなったのか?」
「あんたなあ…!口開けば、それかよ!」
「仕方ないだろう。お前が足りてないんだから」
そう素直に告げて肩をすくめる。さっきのキスだけでは、正直物足りない。焦らして泣かして、もっともっと深いところまでジャンを浸食したい。そう、視線に込めてジャンを見つめると、ふいっと顔が逸らされた。
どうやら照れているらしい。
「………俺も、足りてないから、聞いてんだろ。あんま茶化すなよ」
「すまん。―――そうだな、今日は日付前には戻れるはずだ」
ジャンもそろそろ時間なのだろう。ドアのロックをはずし、外に出ようとする横顔にルキーノは声をかける。ジャンはちらりとこちらを見て、頷いた。
「わかった。んじゃ、用意して待ってる」
用意?とルキーノが首を傾げたその時、外に出たジャンが運転席の窓ガラスを叩いた。何だ?と開けてみると口に何かを突っ込まれる。
「ルキーノ。あんた疲れた顔してるぜ。俺の非常食、食っとけよ」
「………こりゃ、飴か?」
「そ。うまいだろ?」
もう一本、ポケットから取り出してジャンも口に入れる。先ほどのキスの甘い味の正体はこれだったらしい。
もごもごと口を動かすルキーノを面白そうに見ていたジャンだったが、不意に肩に手を置いて顔を近づけてきた。
「ルキーノ」
「ん?」
耳にかかる吐息。落とされる優しい声。

「Buon Compleanno、Luchino」

え?と思う間もなく離される。「じゃ、また夜にな」と手を振って、金髪のわんわんは登場と同じく唐突に街角へと消えていった。
ルキーノは窓から乗り出していた身を正面に戻し、ハンドルに腕を乗せて体重を任せる。何だか無性に笑えてしょうがない。じわじわと胸から温かいものがこみ上げてくる。
誕生日だなんて、すっかり忘れていた。朝から誰もそんなことは言っていなかったし―――まあ、教えてもいないのだから当たり前だ―――、ジャンに言われなければ気がつかないままいつもと同じありふれた一日として過ごしただろう。
もしくは、夜に女たちに囁かれて、そう言えばそうだったなと、感慨もなく祝いの言葉を受け取るだけのそんな日。
祝ってもらう嬉しさなんて、2年も前から遠いものとなってしまっていたのだから。
胸ポケットからタバコを取り出し火を点けた。口の中の飴は甘さで存在を主張していて、噛み砕いてしまうのは勿体ない。端に寄せて煙を吸い込む。
用意して待ってる、ジャンは確かにそう言った。せっかくの誕生日だ。あれとかそれとかこれとか、普段なら聞いてもらえないようなことも頼んで強引に持ち込めばやってもらえるかもしれない。ジャンを相手にやってみたいことは山ほどある。
けれど今日は―――ケーキを囲んで、おめでとうと祝ってもらう、そんな普通の温かさが無性に恋しくなった。


ルキーノ、お誕生日おめでとう!
殊勝なこと考えてますが、普通に祝ってもらった後、
何食わぬ顔ですっごい事頼むのがルキーノだと思います。

2009.07.29

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