That's like the pot calling the kettle black. |
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カリカリカリカリカリカリカリカリカリ。 止まることなく執務室に満ちる音は、二人の男の手元で走る羽ペンと万年筆から発せられていた。 先日まで続いていたことのせいで、滞った書類は終わることを知らず、綺麗に磨き上げられた机の上で山となり積まれている。 デイバン連続爆破事件――市警でそう名付けられた事件は、速やかに収束の形を見せていた。犯人は表向きではあるが公表され、刑務所に送られたことになっている――書類上は。 真相を知る者は多くない。秘密というものは、共有する相手が少なければ少ないほど漏れずにすむ。そういうことだ。 そして、その秘密の核心にいる二人はというと、片方は相変わらず自分のシマを闊歩し、もう一人であるCR:5の若き二代目ジャンカルロ・ブルボン・デル・モンテは、自組織の幹部筆頭ベルナルド・オルトラーニと共に、ほぼ軟禁状態で書類仕事に励んでいた。 「……で。俺たちはいつまでこうしてたらいいんでしょーネ?」 そろそろ集中力が切れてきたのだろうジャンが、それでも目とペンはきっちり書類に走らせながぶつぶつとぼやきだした。 来たか。そんな感想と頭を抱えたくなる気持ちを押し込めて、ベルナルドはそっと目線を送った。そろそろだろうな、という予測は間違っていなかったようだ。逃亡癖のあるボスを持つと困るのは、こんな時である。 とりあえず、と気持ちを落ち着けるべく、まとめた書類を差し出した。 「それは山の終わりに聞いてくれよ?――ほら、追加の書類だ」 「……ワオワオ、こんなに?もっとお手柔らかにしてくれないと…俺、壊れちゃうワ…」 ジャンがげんなりとした口調で天を仰ぐ。ベルナルドは笑みを貼り付けて、固まった。 甘えられているとわかるが、そんなきわどい発言は控えて欲しいのが本音だ。ルキーノの影響だな…と、溜息をつきたくなるのを何とか押しとどめる。ただ、次に次席幹部殿が書類を持ってきた時には難癖をつけてやろうと、心に書き付けるのは忘れない。 「………悪いね。ですが、これでも手伝えるところまではやってあるんですよ、ボス。後は目を通して、サインをしてもらえば終わりなんですけれど、ね」 「そう、簡単に言うけどなあ…」 書類の束を受け取ったジャンが、マホガニー製の机へと突っ伏した。 本部が出来た初日、ワックスで陽光に光るその机を見て、こんな机の前じゃ緊張して昼寝もできねえとジャンが途方に暮れたように言っていたのはもう昔のことだ。今ではちゃんと、そんな机にも負けることなく構えている。 それでもさすがに、集中力がプツンと切れる瞬間というのはあるもので。もうダメだー書類に殺されるーなどとのたまうジャンを見て、ベルナルドは仕方がないな、と肩をすくめた。 さて、机に張り付いていてもらうためにはどうするかと頭を巡らせていると、おざなりにノックの音が響く。そして、間を空けずに大きな影が入ってきた。 長身であるベルナルドよりもさらに大きな体。赤い髪を粋にまとめ、洒落たスーツを颯爽と着こなしている。 幹部NO.2であるルキーノだった。この間までジャンと同様に事件に巻き込まれ核心を知る男は、その時の片割れを見ると綺麗に片眉を上げる。 「何だ?最近やけに熱烈なシンパがついているじゃねえか」 ルキーノがコツンと、体と同じように大作りに作られた拳で紙の山を叩いた。けれど、白い山はそんなことくらいではビクともしない。 「人気者だろ?黄色い声を上げられちゃって、困っちゃうワ」 ひらひらと白旗を揚げるようにジャンの手が振られた。 やる気のないその仕草に、ルキーノの眉が盛大にしかめられるのが見えた。諌言――この場合は、説教と言った方が正しいか――をするためだろう。つかつかとジャンの机へと大きな背中が近づいていく。 ご愁傷様、と安堵にもつかない溜息をベルナルドが吐こうとした時だ。ルキーノが大きな手でジャンの背中を叩こうとして、何を思ったのか頭へとターゲットを変えた。 あれ?と、ベルナルドの頭に疑問符が浮かんだ。常日頃ならばここは、背中を叩いて思い切り喝を入れるところじゃないのか? だが、予想に反し、ルキーノの手はジャンの金糸のような髪に潜り込み、梳くように優しく動かされている。まるで甘やかすかのように。 「………まあ、無理はするなよ」 その言葉に、ジャンが目を大きく開いたのをベルナルドは見逃さなかった。自分も思わず愛用の万年筆を落としかけたくらいの衝撃が走ったのだから、された本人は推して量るべし、だ。 ボスの勉強係を引き受ける、あの騒動の間にルキーノがそう言った言葉に嘘はない。ジャンの態度や仕事については誰よりも手厳しい。ジャンもそのことは重々承知で――最近では、役員会相手に張る時はルキーノの真似事までしているくらいだ。そんなルキーノがこんなことを言うだなんて、何か悪いものでも食べたのではないだろうか。 固まる二人をよそに、ルキーノは悠々と領収書を置くと、じゃあとドアから出て行ってしまった。 二人でその背中を見送って、時間にすれば数十秒と言ったところだろう。先に何とかフリーズから逃れたジャンが、小さな声で呟いた。 「……おかしいだろ?こないだから、ああで、さ」 ベルナルドがそちらを向いてみれば、困ったような不満なような――けれど、どうしていいのかわからない、そんな顔でジャンが自分の髪を梳いていた。 「こないだ?」 「そう、こないだ。あの――事件の後くらい…から、かな」 事件のことを思い出したのか、ジャンが眉をしかめ言いにくそうに言葉を零した。飲み下せない気持ちの悪さ。人間と人間が向き合うと起こる摩擦。そんなものがまだ澱のようにジャンの中に残っているのだろう。結末は、さほど気持ちのいいものではなかったのだから。 そんなジャンを横目に、顎に手をあて考えてみる。あの事件の後からルキーノがジャンに甘い理由。色々な事柄を頭に浮かべ、そうして。一つだけ、心当たりにぶち当たる。 ジャンの顔を伺ってみた。相変わらず困惑した表情のまま、羽ペンをくるくると器用に回している。多分、事件のあらましで甘やかされているとか、そういう方面に思考を飛ばしているのだろう。だけど違うんだなあ、これが。 男って生き物は面倒な生き物だ。見栄とプライドを前面に押し出して、肩を張って毎日を過ごしている。自分たちコーサ・ノストラは尚のこと。ルキーノのような男ならば更に、だ。 ベルナルドはやれやれと肩をすくめた。 ちょうどカポのムラっ気が出てきたところだ。ここは一つ、気分転換をしてもらうためにも利用させてもらうとしよう。 「――ジャン、興味深い事実を聞いてみたくはないかい?」 「…何だよ、いきなり」 訝しげな目でジャンがベルナルドを見てくる。けれど、次の言葉を続けると、目の奥の輝きが変わった。 「ルキーノの、行動の理由だ」 「……アンタにゃそれがわかるってか?」 ジャンが少しだけふてくされる。おやおや、と眉を上げたくなったけれど、それは笑顔に押し込めた。 「まあね。付き合いが長いと、色々見えてくるものさ」 「ふうん……」 微妙な変化ではあるが、ジャンの機嫌が降下する。こちらも付き合いの長さからわかるものではあるが、こうもわかりやすくて、よくあんな賭けに出れるものだと内心感心をした。気を許している相手だからこそ見えるものなのかもしれないが。 だが、これ以上落とすのは得策ではない。にっこりと笑って、何事もなかったかのように会話を続けた。 「この間まで、ルキーノは記憶をなくしていた」 「……ああ」 「それは三年間の記憶だった。――じゃあ、そのとき、いくつだったかわかるかな?」 一瞬の後に、ジャンの目が大きく見開かれる。 つまるところ、そういうことだ。 そこらの子供でもわかるような簡単な引き算の話だ。若くなった分、堪えきれなかったものをジャンに甘え、ぶつけてしまった。その事実にバツの悪さを感じて今になって年長者ぶっている、ただそれだけの話だ。 男って生き物は本当に面倒だ。心の底からそう思う。例えばそう、こんな風にジャンの背中をそっと押して、笑って見送ろうとする自分も、きっと。 「ベルナルド、俺、ちょっと休憩…えっと……飯!飯、行ってくる!」 それだけ言って、ジャンはかけてあったジャケットをひっつかんで、慌ただしげにドアへと駆け寄った。予想通りの行動。伊達に何年も付き合っているわけではない。だから、その後ろ姿に予定していたとおりに声をかけた。 「一時間だ。それ以上は認められない」 「ああ、了解」 「それと、プレゼントだ」 面倒な男が置いていった領収書を取ると、ベルナルドはジャンの手のひらの上に載せた。 「三十路になったなら受け取ると、そう伝えてくれ」 「ワオ。お気の毒」 ジャンは受け取った紙切れをくしゃくしゃとジャケットのポケットにつっこんだ。伝言をそのまま伝えたなら、どっちがお気の毒になるかは、まあこの際置いておこう。 バタンと閉められるドアに手を振って、送り出す。 そうして、ドアの外の喧噪が去ってから、ベルナルドは机の上の書類を一枚、手に取った。 「全く。甘やかしているのはどっちなんだか、ね」 はあ、とため息をつくと、いつものように右手に万年筆を掲げ、ベルナルド・オルトラーニ、とサインを入れた。 |
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読んでも絶対気付かれてないのはわかってるんですが 実はあのときのルキーノは、ジャンより年下だったんですよって話でした。 2010.03.24 back |