se do qualcosa a te …After

 この話は、オフラインで出している「se do qualcosa a te」の終わった後のエピソードです。
 通販に付けさせていただいたのに少し改稿を入れてます。
 読んでいなくてもわかるとは思うのですが、読んでいただけているとわかりやすいとは思います。
 
 そんな話ですが、大丈夫だよーって方はスクロールして下さい。


















歌声が聞こえた気がした。途切れ途切れに耳に届く、メロディラインに乗り切れていないようなそんな小さな声。調子っぱずれとまではいかないが、ジャンはそっと心の中で、あんまりうまくないな、と評価を呟いてから身を起こした。
ぎしぎしと何時間か前まで好き勝手にされた体が悲鳴を上げる。だがそれももう慣れたものだ。この男と付き合っていて、これくらいで音を上げていては毎日の体力が続かない。しかも今回は自分から求めたのだから自業自得だ。
外から入ってくる風で、カーテンが舞った。月の光が部屋に差し込んでくる。そのおかげで、あちこちに残った鬱血の痕が否が応でも目に入った。けれどちゃんと服の下に隠せる辺りにしかつけられていないのが小憎たらしい。
シーツが擦れる音がしたのだろう。歌声が唐突に止まった。
月をバックにルキーノが振り返る。銀色の光に照らされたローズピンクの瞳は、何とも言えない色に彩られていた。口元にはタバコがくわえられ、そこから出る煙さえ何だか幻想的だ。
「…起こしちまったか?」
「いんや」
何かを続けようとしてジャンは口を開いて、止めた。その代わり、もぞもぞとシーツを腰の辺りにのせたままルキーノに近づく。手を伸ばしてひょいとタバコを奪い取った。
「コラ」
「いーだろ? 人が吸ってんのって、うまそうに見えんだよ」
咎めるような声を出すくせに追っては来ない。そんな男にウインクを一つ贈ってみると、カヴォロ、と呆れたように呟かれた。
タバコをくわえると、吸い口は少し湿っていた。何だかキスでもしているような気分になる。意識が落ちる寸前まで呆れるほど交わしていたキスが思い起こされて、腰から下が甘くうずく。ジャンは慌てて煙を吸い込んだ。
久しぶりのニコチンは、甘く感じた。
息を止め、肺の中に紫煙を蔓延させる。頭の中が痺れるような酩酊感。セックスの後のタバコってのは格別だ。あと寝起きのタバコも。そして何より、ルキーノの吸っているタバコだから更に、という気持ちもある。これは絶対に言わない秘密のことだけれど。
満足のままに煙を吐き出すと、横から伸びてきた手にタバコ本体を奪い取られた。抗議の声を上げるよりも先に、甲にCR:5と刻まれた手はベッド脇にあるテーブルへと向かう。その先にあるのは灰皿だ。その上にトントンと灰を落とす。
そんなところが几帳面なこの男らしいと思った。
ふわり、とまた、カーテンが揺れた。昼間は暑くても、日が落ちてしまえば夜はそれなりに過ごしやすくなる。また明日の太陽を思うと少しばかりげんなりするが、それももう少しで終わりを告げるだろう。
それは、この男の季節が終わってしまうようで少し寂しい。
「眠れないのけ?」
だからジャンは何となく――本当に何気ない素振りで、男にそんなことを訊いた。ルキーノは取り戻したタバコをもう一度くわえ、先ほどのジャンと同じように煙を吐き出す。それから、おもむろに口を開いた。
「さっき、出すもの出したら、体が満足しちまったみたいでな。朝まで起きてようかと思っていたところさ」
冗談みたいな声で、ジャンをちらりと見て口元を吊り上げる。そんなことを言いながら伸ばされた手は、思い切り叩き落とした。
「満足したんなら、もうお預けだっつうの」
澄ました顔でそう告げると、ルキーノは少しばかり赤くなった手をぶらぶらとさせながら息をついた。
「やれやれ。うちのお姫様は恥ずかしがり屋でいけねえな。まあ、仕方ないさ。明日……いや、今日の夜までは我慢してやるよ」
「……相変わらず突っ込むとこいっぱいなセリフ吐くよな、アンタ」
ジャンは頭の後ろで腕を組むと、ごろんとシーツに転がった。べちゃべちゃにあらぬ液体で汚れてしまったシーツはきちんと取り替えられていて、昼間の太陽のような匂いがする。それにムスクの香りが混じっていた。もう慣れきってしまったブレンド。もしかしたら、今の自分からも同じ匂いがしているのかも知れない。
何だか気恥ずかしくなって、ジャンは勢いをつけて突き出されているルキーノの硬くてごつい足の上に転がり乗っかった。もう一本、とテーブルの上のタバコに手を伸ばす。けれどそれは、横から伸びてきたデカイ手によって遮られた。
「やめとけ。明日は医者だろ? 今日はもう、さっさと体、休めてろ」
「――その体に、さっきまで無体してやがったのは、誰でしたっけ?」
神妙な顔で止めてくる男を睨みつけた。やると言ったり、寝ろと言ったり忙しい男だ。ルキーノはタバコをジャンの位置からは届かないところへと遠ざけると、しれっとした顔で告げる。
「あれはあれ、これはこれだ」
「なんだよ、それ」
ぶっと吹き出すと、ルキーノもおどけたように肩をすくめてみせる。それから、ギシリとベッドのスプリングを鳴らすと、前屈みになってジャンの方へと顔を近づけてきた。
吐息がかかるような距離。分厚い唇がきれいな三日月を描いている。
「まあ、おまえが眠れないって言うんなら、話は別だ。強制的に眠らせてやるよ」
「…だーかーら、お預けだって言ってんだろ」
不意に熱が上がった視線から逃げるように、ジャンはシーツにくるまって寝返りをうった。転がった先は先ほど目が覚めた場所。ルキーノも本気ではなかったのだろう。フンと鼻を鳴らすと、先ほどの位置へと体を戻した。
沈黙が二人の間を満たす。
だがそれは、決して悪いものではなく。こんな風に穏やかに過ごす時間を心地いいと感じる自分がいる。
ジャンは、これまでの人生で別れなんて気にしたことはなかった。いつだって別れは来るものだ。そう、自分は知っている。記憶に残っていなくても、物心ついてからこっち、ずっと実感だけがあった。
けれど、つい昨日までの喧噪を思うと、今は少し寂しい。それは多分、ちゃんと知ってしまったからだ。横にあるという温かさを。その心地よさを。
でも、この男が横にいて、その気持ちを共有できる。そう考えると別れすらも尊いものへと変化する。そんな風にジャンの中で色んなことが少しずつ、変わってきている。そして、それも悪くないと思う自分がいるのだ。
また、歌声が聞こえてきた。
微かな微かなその歌は、郷愁のようなものを思い起こさせる。その既視感を掴もうと声には出さず、ジャンも口ずさんでみた。
ああ、そうだ。これは修道院で時折、眠れなくなったジャンの傍で誰かが――そこまで思い起こして、もっと昔にも、金色の髪をしたマンマが優しい声と手でジャンをあやしてくれた、そんな記憶が引っ張り出されてきた。なぜなら、今、歌ってる男の声も同じくらい、優しかったから。
唇の動きまで伺うように、ジャンがじいっと男前な横顔のラインを追っていると、ルキーノと目が合った。その瞳は大きく見開かれ、それが通常へ戻ると共に、口も閉じられてしまった。
「続けりゃいいのに」
「……あんまり人前じゃ歌いたくないんだよ」
ばつが悪そうにそう続け、ぷいっとそっぽを向いた男の表情は見えない。けれど、月明かりでもわかるくらい耳が赤かった。今度はジャンが目を丸くする番だ。うっわー、珍しいもん見た。
「なんだ?」
「別にー」
表情を落ち着かせた男がこちらを見やるが、教えてなんてやらない。じたばたしたくなるような、そんな気持ちを抑え込んで、ジャンは唇の端をあげて笑ってみせた。
ルキーノが眉をしかめた。むんずとデカイ手で枕を掴むと、真っ直ぐに投げた。それが、身構えてもいなかったジャンの顔のど真ん中へとクリーンヒットする。
「うっぷ……ちょっ、何すんだよ」
「いいからさっさと寝ろ。いい子は寝る時間だぜ?」
枕をどかせて勢い込むジャンをあやすように、ぽんぽんと髪の毛がゆっくりとした動作で撫でられた。まるで子供相手の仕草。
だけど、それは悪くない。
ちぇーとだけ呟くと、ジャンは肩までフラットシーツをかぶる。当たり前だがすぐに睡魔が訪れるはずもなく。ルキーノをぼんやりと見上げた。相変わらず端正な顔だ。それはもう、見惚れるほどに。
「――眠れないのか?」
今度はルキーノがそう訊いてきた。
「んー…かも」
「かも、ってなんだ。……ったく。仕方ないな。寝不足のカポを人前に出すわけにはいかんからな」
ルキーノはそう言うと、すうっと息を吸い込んだ。
その声はやっぱり小さかった。古い古い歌。イタリア系の子供が親から小さいときに口伝えで受け継がれる、そんな。
けれど、何とかメロディラインから落っこちないように歌う声はいつもの調子とは違い、優しくて、温かくて、ずっと聴いていたくなる。
「人前じゃやだって言ったくせに」
「……今はおまえだけだろ?」
ジャンの呟きが聞こえたのだろう。ルキーノは一度、歌を止めて答えてくる。何のかんのと言って、ジャンが所望したことをこの男は出来るだけ叶えてくれる。歌うような睦言じゃない、正真正銘の子守歌。そんなものをこの男から贈られた相手なんて、数えるほどだろう。
それは出た家にいる家族と、失った者たちと――
つい昨日まで預かっていた赤ん坊にすら一切聞かせなかった歌は、ゆっくりとジャンの中へと浸透していく。それと共に金色の睫の影が頬へとさしかかり、周囲が見えなくなった。
何のかんので疲労していた体は、歌のリズムに乗って眠りの淵へと落ちていく。
最後の意識が途切れる前に。「ジャン、寝たのか?」と言うルキーノの声が聞こえて、それから瞼の上に温かく柔らかいものが押しつけられた。
今日はいい夢が見られる。そんな気がした。




「se do qualcosa a te」の終わった後のお話。


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