ベッドサイドの情景


風呂上がりにバスローブを羽織って頭にタオルという姿で出てきたジャンの目に、ベッドの上に腰掛けて書類を広げている大きな背中が飛び込んできた。
別段、狭い部屋でも何でもないというのに、この男の存在感はどういうことだろう。
ま、惚れた欲目、ってやつかもしれませんけどネー。
一瞬、見惚れるように立ち止まった自分に言い訳をしながら、ジャンはベッドの反対側からルキーノに近づいた。
ベッドはダブルサイズ―――じゃあ男二人寝るには少し足りない。ましてや片方がとびっきりのビッグサイズともなればなおのこと。
だから、当たり前のようにここのベッドはキングサイズだった。つまり、反対側の端から端まで、それなりに距離がある。
ジャンはそんなベッドに乗り上がり、膝をついてシーツの波をかき分け、ルキーノの背中を目指す。ピン、と素晴らしいまでに張られたシーツは、無残な姿となってジャンの足跡を残していく。
「アディオス、シーツちゃん…っと」
到着、とばかりにジャンはおもむろにくるりと今まで来たほうに向き直ると、背中をルキーノの背に預けた。
ドスン、と勢いよく体重をかけても全く揺るぐことのないそれと、当たる体温が心地いい。
ごそごそと身じろぎをして、一番楽に出来る場所を見つけてくつろぎの体勢に入る。
「―――お前、何のつもりだ」
それまで沈黙を保っていたルキーノの呆れたような声がジャンに降りかかる。まだ書類と睨めっこをしているのか、声は少し遠いけれど、言葉が振動となって空気と共に背中からジャンを震わすのが思いのほかくすぐったい。
「んー?寝転がるのにちょうどいい壁があるなって?」
「俺は壁か」
どこかで聞いたことのあるような台詞を吐いて、ルキーノが溜息をつく。その既視感は何処だったかとジャンは一瞬考え込んで、それはあの刑務所からの大脱走の初日だったことを思い出した。
青い空と、4人の仲間と、赤いアルファロメオ。
もう、既に過ぎ去ってしまった遠い―――でも、色あせることのない日々。
クツクツと笑いがこみ上げてくる。
「何を笑ってる」
「やー今のあんたの台詞、どっかで聞いたことあったなって、さ」
「台詞?―――ああ」
納得がいったようにルキーノが頷く気配がする。
「そういえばお前、確かあのときもこの俺を壁呼ばわりしてくれたよな?」
「いやーん。ルキーノさんが、それだけ頼れるってことじゃなーい」
「言ってろ」
軽口を叩くと、やっぱり呆れたような、でもどこか仕方ないなという甘さの入った口調で返された。
背中越しに感じるルキーノはやっぱり確かな存在感で、風呂上がりのこちらのほうが体温が高いはずなのに、ルキーノのほうが温かいと思う。ルキーノがスーツのジャケットを脱いでシャツだけになっているから尚のことかもしれない。
ま、それだけじゃないんですけど。
「なあ、何か―――っておまっ!」
あ、ようやく気付いたのネ。
悪戯が成功した子供のように、ジャンはそっと舌を出す。
書類から目を離してジャンに目を向けたルキーノが、自分の惨状に気付いて非難の声を上げたのだ。
「ジャン!風呂から出たなら、ちゃんと髪の水分を取れ!くそっ冷たいと思ったら、背中が水浸しになってるじゃねえか!」
激高しているルキーノに、明るく声をかける。
「あ、悪い。…でもさ、あんただっていつも濡れたまんま出てくるだろ。だから俺も、つい」
そう、ジャンが笑ってみせると、ルキーノは目を細め低い声で答える。
「それはな、俺の場合、水もしたたるいい男って言うんだよ。この馬鹿」
「………あ、ソウデスカ」
どっちが馬鹿だとか俺は違うのかよとか自分で言ってりゃ世話ねえよなあ、と思うけれど、それは全く持って事実なので、否定の言葉をジャンは飲み込んだ。ルキーノ・グレゴレッティという男は、今みたいにシャツの襟ぐり辺りにまでしみこんだ水分に眉をひそめる表情すら絵になる―――そんなピッカピカの男なのだから。
ルキーノは書類をベッド横のテーブルの上に音を立てて置くと、ジャンの首に掛かってるタオルを手に取った。力強く扱われるかと思いきや、そのごつい手指からは想像も出来ないほど繊細にジャンの髪から水分を拭っていく。
「頭くらいちゃんと拭けよ、ったく。仕立てたばかりのシャツがびしょびしょになっちまったじゃねえか」
見たことのない型のシャツだと思ったら、仕立てたばっかりだったのか。それはご愁傷様、と心の中で呟いて、ジャンはルキーノの手に頭を任せた。
リズムよく動く手が、一日を終えて疲れた体の眠りを誘う。しかし、さすがにここで寝てしまっては、この男の機嫌を損ねてしまうだろう。だから、リズムを乱すべく、お願いをした。
「なあ。もうちょっと、強くさ、頼むよ」
「あん?強くってお前、馬鹿を言え」
「え?」
そんな変なことを頼んだつもりは全くないのだが。何がおかしかっただろうかと首をひねっていると、思いがけない答えが返ってきた。
「そんなことをしたら髪が傷む。勿体ないだろ」
「………傷むって俺は女かよ…。あんた本当に金髪好きだよな………」
「はっ。何を今更。言っただろう?特にお前くらいの色合いが好みだってな」
余りにきっぱりとした物言いに、さすがのジャンも苦笑しか出ない。ルキーノの顔を見上げると、その厚い唇の端は上がっていて、ジャンと目が合うとふんと鼻を鳴らした。
「ほら、動くなよ。もうちょっとだから、大人しくしてろ」
「へいへい」
少しの間沈黙が落ちる。髪とタオルの当たる音と静けさだけが辺りに満ちた。
(ルキーノの奴、シャツ濡れたままでいるつもりなんかね)
そんなことを考えたとき、ルキーノの手が止まった。ぽんとタオル越しに頭を叩かれる。
「よし、こんなもんだろ」
「あ、ああ。どうも―――って、へ?」
ジャンはルキーノに預けていた体重を戻そうとしたところで、肩に重みを感じた。自分よりもごつい節ばった手がジャンの肩を拘束していて、全く動かない。まるで船を縫い付ける錨のようだ。
「えっと。何だよ、この手。終わった、んだよな?」
「んー?終わったさ。だが、まだ動くなって。確かめさせろよ」
何をだよ!というジャンの声は次のルキーノの行動によって違う物に取って代わられた。
「水を含んだ重い色も捨てたもんじゃないが、やっぱり乾いた色のほうがお前には似合うな」
そう言って、金色に輝く髪を一房つまむと口づけたのだ。
瞬間、ジャンの背に覚えのある感覚が走る。
「ひゃっ!?ア、あんた、何してんだ!」
「何だ、ジャン。お前、髪も感じるのか?」
髪を抑えて慌てて振り向くジャンは、にやりと笑うルキーノの顔からかすかな色気を感じ取る。
あ、これは、と予感よりも先にルキーノの右手が近づいてきた。そして、顎をくいっと掴まれる。
そのまま、ドアップに迫るルキーノの顔。
こんなに間近で見ても見とれるくらいいい男だなんて、ずるい。睫毛すら当たりそうな距離までたっぷりとルキーノの顔を見続けてから、ジャンは目を閉じた。
唇が重なる。何度も角度を変えて唾液を送り込まれ、舌を絡め合う。濡れた水音と、上がった息だけがその場を支配する。
肉厚の舌が口内を余すことなく駆け回り、翻弄される。そうなるともう、ルキーノの独壇場だった。力の抜けたジャンの体がずるずるとスプリングに沈み、それと同時に唇も離れる。しかし、最後にべろんとジャンの口の端からこぼれる唾液を舐め取ることは忘れない。
「はっ………あぁ…ふっ…………な、なぁルキーノ」
「なんだ?」
「―――すんの?」
少し体を離して、シャツのボタンを外すルキーノに訊ねた。その間もルキーノの脚はきっちりとジャンを押さえ込んでいて、逃げられそうにない。まあ、逃げるつもりも毛頭ないのだが。
仕立てたばかりというシャツを丁寧に脱いでいくルキーノの首にはいつもの鎖のアクセサリー。ゆっくりと脱いでいくその仕草は、まるで何かのショーを見ているようだった。
最後にカフスボタンが音を立ててベッドサイドのテーブルの上に落ちると、筋肉のきれいについた裸体を惜しげもなく晒したルキーノが、再度ジャンにのしかかる。
「濡れたシャツは脱がなきゃならん。そのままにしておくと体温を取られるからな。現に少々寒い。脱いだ俺はお前とベッドの上。この後お互い予定はなし。何か問題が?」
「―――ああ、確かに。そりゃ何もないわ」
「だろ?―――温めてくれよ、ジャン」
一拍の後に答えをはじき出したジャンが頷いた。それを見て、ルキーノの手が体をまさぐり始める。
ジャンは、これから来るであろう快感の予感に身を震わせると、そっとルキーノに腕を伸ばした。

本当は、構って欲しかったから濡れたままだった、なんて絶対口にはしないけど。


2009.07.16

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