Piccolo regno


鍵のかかる部屋。誰も簡単には入って来れないのが条件だ。
そしてそこに、男でも寝転がれるソファーかカウチがあれば、なおいい。
ふらふらとCR:5の本部内を逃走ルートの考察を兼ねて徘徊していたジャンは、ふと、階段の裏側にある小さな扉を見つけた。
多分、普段ならば気付かない、そんな小さな扉。何もかもが大作りのこの本部で、それは珍しいくらいの小さなドアだった。
ひょいっと覗いてみると、開けてすぐは10段程の階段になっていて、左に続くドアが見える。好奇心に駆られて、壁に手をつきながら階段を降りた。
ドアノブを回し押してみると、扉は呆気ないくらいに簡単に開いた。引っかかることもきしむ音もない。
隙間から零れ、広がる光。
階段に電気はなく暗がりだった。しかしドア一枚隔てたそこは、光で溢れている。ジャンは顔に手をかざして、目を細める。
何度か瞬きをすると目が慣れてくる。部屋の空気は澄んでいて、埃が上がることもないそこには、デカイソファーが一つ佇んでいた。
元は何の用途に使われていたのかは、わからない。明かり取りの小窓から覗く太陽だけが全ての、小さな王国。まるで童話の中から抜け出したようなそんな。
そうして、その日からそこはジャンの秘密の城となった。

今日も今日とて、ちょっとした合間を狙って執務室を抜け出した。
別に仕事に不満があるわけではない。カポの仕事は面倒だがやりがいもあるし、成果が上がるとジャン自身も嬉しい。
だがたまに、何もかもから抜け出したい衝動に駆られるのだ。それが刑務所の頃の経験から培われたものなのか、それとも生来のものなのかはわからないのだけれど。
(今日は、あそこにするか)
直立不動の姿勢から90度に腰を曲げ、カポ・デル・モンテを見送る部下たちに、ご苦労様と声をかけながら、ジャンは頭の中でいくつかのスポットを検索する。
すぐに見つかってもいいところから決して見つからないであろう場所まで、寛ぐ先は様々だ。残りの仕事と時間を秤にかけながら、リミットを考える。今日は、一時間といったところだろうか。
ならばゆっくりと休めるところがいい。
そうして、部下たちにちゃんと本部にいますよとある程度姿を見せてから、ジャンはあの、小さな明かり取りの小窓のある部屋へと向かった。
しかし。
(―――あれ?)
いつもなら、軽く押すだけで開くはずの扉が開かない。誰かが鍵をかけてしまったのだろうか。埃一つない部屋だ。人の手が入っていてもおかしくはない事に、今更ながら気が付いた。。
(ま、そんなことは俺には関係ないんですケド?)
ちゃり、と音を立てて胸ポケットから鍵開け道具一式取り出し、その内の二本を手に取る。手の中でくるりと一回転させると、鍵穴に突っ込んだ。
処女のように優しく、繊細に。
最後の仕上げに手首を返すと、カチリ。そんな音と共に敬虔なシスターのように頑な扉は開いた。絶好調の自分の腕に惚れ惚れする。
鼻歌まで歌ってしまいそうな気分で、ドアを開けた。そこにあるのはこの間と同じ、デカイソファー―――と、この間と違う、大きな赤毛のライオンの姿だった。
「……ルッ…!」
キーノ、と続けようとして彼がよく寝ていることに気がつくのと、急いで口元に手のひらを当てるのはコンマ5秒の差だった。よく止めた、と自分を褒めてやりたい。
しんと静寂の降りる部屋の中、ルキーノの寝息だけが妙に大きく聞こえる。そろそろと近づいてみても、規則正しく上下する肩は乱れることはなく、ホッとした。背もたれには、ジャンが着たら指の先まですっぽりと覆ってしまうであろうジャケットが綺麗に折りたたまれてかけられていて、こんなところが几帳面なこの男らしい。
そっと回り込んでみる。せっかくの大きなソファなのに、寝転がることもなく前傾姿勢で膝の上に手を組み目を瞑っているルキーノに笑いが零れそうになった。
(あ、眉間に皺みっけ)
触ってほぐしてやりたくなるが、さすがにそんなことをしたら起きてしまうだろう。その場に座り込んで、上目遣いに男を見つめることにした。
毎日精力的に働いて、いつも尊大なまでの態度と笑みを絶やさないルキーノ。そして今、難しそうな顔で寝ているルキーノ。相反するようだけれど、どっちも本当の彼だ。
周囲に視線を巡らす。明かり取りだけの小窓のある部屋。しかしそれに似つかわしくないデカイソファー。床に敷かれた絨毯は柔らかく迎え入れてくれて、足音一つ立ちやしない。そして、その絶妙の色合いは遠くから見ても一つの絵画のように構成されている。
そんな空間を作るヤツなんて、ジャンは一人しか知らない。
何故気付かなかったのか。観察力が落ちているのだとすれば、それは由々しき問題だ。それとも―――そこまでこの男に慣れてしまっているのか。
そっとため息をついて、立ち上がる。ここの話をして自分も使っていいかと聞けば、この男は驚いたように片眉だけ綺麗に上げて、それから笑っていいぞと了承するだろう。けれどジャンは、このいつも尊大なまでに余裕に満ちあふれたライオンの、つかの間の休息に立ち入る気にはなれなかった。
まあ、自分にも休む暇を寄こせ、と言いたくはなるけれど。主に睡眠時間的に。
(おやすみ、ルキーノ)
祈りのような言葉を呟いて、思いつきのようにソファの背もたれに手をついた。昔、マンマにしてもらったような―――ジャンには余り記憶に残ってないのだけれど―――キスをふわり、と額に贈る。
あたるかあたらないか、そんな羽のようなキス。それでもライオンの眉間の筋が少し緩くなった気がして、嬉しくなる。
体勢を元に戻し、ソファーから離れる。すれ違い様に微笑むと、それが届いたかのようにルキーノの体が身じろいだ。デカイ、けれど見惚れるほどセクシーな唇がそのまま口を開けて、何か言葉を紡ぐ。
「…………ャン……」
それを聞いたジャンは固まった。固まってしまった。体温が上昇するのを感じる。血が、間違いなく顔に集中している。
だって、今のは。今の声は―――単語は。
このタイミングで、なんて卑怯だ。いつの間にか眉間に寄っていた皺がなくなった横顔を見つめたまま、ジャンは動けなくなった。それでも何とか、ぎぎぎとさび付いたブリキのおもちゃのような体を動かして見た左腕の時計は、決めた時刻まであと半周といったところか。
このまま出て行って次の場所に着いても、ゆっくりする時間などない。ならば。
腹を決めて、引き止めたのはあんたなんだからな、と心の中で言い訳をして、またルキーノの傍に戻る。そうして、前を通り過ぎようとしたその時。横からにゅっと飛び出た腕がジャンの腰を捕まえた。
そのまま、コテンと音がしそうなくらい簡単に、男の膝の上に乗せられる。さっきとは別の意味で硬直した体を覗き込まれる。こちらを見る瞳には驚いて目を見開くジャンの顔と、してやったり、そんな表情が浮かんでいた。
「つれないじゃないか、ジャン。起こしてくれればいいものを」
「あ、あ、あんた…いつから…?」
「そうだな。お前が情熱的なのをここにくれたとき―――よりもうちょっと前、からかな」
赤い髪が綺麗に分けられた額をこんこんと叩くルキーノは、満面の笑みを浮かべている。
そんな様子は全く見えなかった。気付かれない、と思っていたことが気付かれていたとき程恥ずかしいものはない。ジャンは自分を抱え込む腕の中で暴れ出した。しかも、さっきの寝言は確信犯だったということだ。
「な…!あんたっ信じらんねー!!!起きてるなら、起きてるって言えよ!」
それを難なく押さえ込みながら、ルキーノはさらにジャンを抱き込んだ。
「お前がどんな反応するか知りたかったんだよ。結構可愛いことをするじゃないか。―――けど、知ってるだろう?俺はもうちょっと、熱いやつが好みなんだ、ってな」
そう言うと、首を傾け唇を合わせてくる。分厚い舌がジャンの口の中をいっぱいに蹂躙する。さっきまでルキーノは寝ていたせいか、その温度が自分よりも高くて、言葉の通り熱かった。
「は………んんっ…」
鼻から息が抜ける。この男とキスをするようになって、酸素を取り込むことが上手くなった気がする。それほどまでに濃い、溶けるようなキス。
まさに蹂躙され尽くされて、気付けば顎から落ちるよだれをルキーノのチーフが拭っていた。ほぼこの男のものじゃないのかと思う程、注がれたそれ。
「相変わらず、小さい口だな。ちゃんと飲み込めよ」
「……そんな簡単に大きくなるものじゃアリマセーン」
「そうか?お前のこっちのお口は、俺のことをちゃんと覚えて広がってるみたいだが」
ズボンの上から下の口をなぞられる。変な高い声が出て、ルキーノにすがりつくのはもはや習性に近い。
「だから…!そ、いうの……昼間…ら、やめっ……!」
夜ならば遠慮のない指も、さすがにこんな日の高い時間からは遠慮したのか―――それとも、また後でということなのか、最後に惜しむように尻を揉んで去っていった。
「まあ、お互いまだ色々残ってるからな。夜までお預けか」
どうやら後者だったらしい。全くこのケダモノが、と思うが、それもルキーノらしいと言えばらしい。けれど、胡乱な目で見ることは忘れない。
「何だ?その目は」
「…別に?遠慮して損したなーって、思ったダケ」
「遠慮?」
「ああ。―――だって、ここ、あんたのcastelloだろ?」
不思議そうにこっちを見るルキーノに苦笑を返す。
彼好みに仕立て上げられた、彼のための、ルキーノだけの王国。そこに呼ばれもせずに―――しかも、鍵まで開けて入ってしまった自分は、例え彼とこういう関係にあったとしても、やはりそれはマナー違反だろう。
ルキーノは周囲を見回すと納得したように頷いた。
「ああ、なるほどな。それは、言い得て妙だ」
CR-5と刻印の入った右手が、ジャンの左手を取る。何?と目線で尋ねるが返答はない。手の甲に唇が落とされ、三日月を描いたワイン色の瞳にきょとんとしたジャンの顔が映ったところで、ルキーノは口を開いた。
「だったら、なおさらお前も必要じゃないか。ようこそ、ジャンカルロ。俺の王国へ」
「へ?」
きょとんとした顔のジャンに大仰なまでに手を広げて、ルキーノは歓迎の意を示した。今度はそのまま、先ほどのジャンと同じように額に軽いキスをする。
「castelloには相手ってモンが必要だろ?」
ルキーノの言葉に目を瞬いた。城でたった一人で過ごす住人も、最後にはいつだって一人ではない。大団円。ハッピーエンド。そんな物語は修道院でいくつも読んだ。
「ハ、ハハッ。確かに!そりゃそーだ」
「だろ?お姫さま」
臆面もなく、そう言ってのけるルキーノに、赤面しそうになった。が、ここでそんな反応を返せばますます相手を調子に乗らせてしまうだろう。だからわざと、おどけて返す。
「……あら、王子。幸せは何だか見つかって?―――あ、でもルキーノだと、王子にしては年が食い過ぎか」
「カヴォロ!」
イタリア民話の王子になぞらえて軽口を叩くと、先ほどキスを落とされたところを指で弾かれた。痛っ、と言う声と共に手で押さえて口をとがらせると、今度はその突き出した下唇を甘噛みされる。
ジャンはルキーノの首に腕を回すと、角度をちょうど時計回りに90度違えて、応えた。
リミットまで、あと10分。あの民話の終わりはどうなるんだっけ?もしかしたら王子は何も見つけられなかったのかも知れない。けれど、そうして二人は幸せに過ごしましたとさ、めでたしめでたし。物語ってのは、そうやってくくられるモンだ。横に相棒がいる限り。
(だから―――傍にいるよ、ルキーノ。もし、どこかの木の人形みたいに鯨に飲み込まれたって探しに行ってやる)
深くなるキスに応じながら、ジャンはそんなことを考えた。



2009.08.29

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