アイスと無自覚 |
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青い空。太陽は東の空にあり、暖かい日差しが差している。 周りには雑然と建物が並び、アスファルトで舗装された道路が続く。賑わう人々の声と、自動車が排気ガスをまき散らして出す、モーター音。そんなものが溢れに溢れている。ここはCR:5の街、デイバン。 そんな中にいると、数日前まで塀に囲まれた牢獄にいたことがまるで嘘のようだった。 「―――なのに、何で帰ってきて早々、俺は連れ出されてんでしょーねー」 「おい。あんまりふらふらするな」 ぐいっと、ジャンの二の腕を一回りしても余りそうなデカイ手に引き寄せられる。 その先にいるのは、赤い髪と完璧なまでの身だしなみに包まれた男―――ルキーノが呆れたように鼻を鳴らした。そんな彼には先程から色めいた視線があちこちから寄せられていて、目立つことこの上ない。 行くぞ、と幼子のように手を引かれながら、周囲の視線なんて気にもしない様子で前を歩く男の背中を見る。 この間まで見ていたシマシマとは違い、あつらえたようにピッタリジャストサイズのスーツ。まあ、本当にあつらえたものなんだろうけれど。吊しの服にさんざっぱら文句言ってたしな。 デイバンの街についてすぐ、ルキーノのしたことと言えば、身だしなみを整えることだった。 部下に指示を出して取って来させたスーツは、クィーンクォーターで手に入れた吊しの服なんかよりも遙かに、この男を引き立てるもので。 こざっぱりと身だしなみを整えたルキーノが、よしと手を打って振り向いたとき、ジャンは思わず口を大きく開けて瞬きも声もなく、まじまじと見つめてしまった。 今までも何度か街でスーツ姿のルキーノを見かけたことも、すれ違ったこともあった。けれど、この男はその度に黒服に囲まれていたり、カタギの人間と一緒だったりして、こんな風に正面から見るチャンスに恵まれたことはなく。そしてこの数日で、この男がどれだけイイ男なのかも、十分に承知しているつもりだった。 けれど、よもや服装ひとつで、こんな、体温が顔に集まろうとするのを隠そうと手近にあったクッションに埋もれてしまうほどだとは、思わなかったのだ。 (何なのかねえ…。最近の俺のこの、リアクションっての?) 思い出しただけで顔が火照りそうなあの瞬間は、頭を振って思考を分散させる。 最近のジャンの行動は何だかおかしい。しかもルキーノ相手に限定して、だ。 これを世間様では何と呼ぶのか―――。 「―――ン、ジャン。おい、コラッ、聞いてんのか?」 「へ?…えっと…な、何?」 ぐいっとまた引っ張られ、思考を中断させられた。ぼやけた視点を戻してみれば、目の前に広がるのはルキーノの顔。目を大きく見開いて、その赤みがかった瞳を見つめてしまう。あ、よく見たら赤ってよりピンクに近いんだな、コイツの瞳。まるで、前に爺さま方に飲ませてもらった年代物のロゼのワインみたいだ。 「………お前、ぜんっぜん聞いてなかったな」 「え………。あ、ああ。えっと…何かおっしゃいマシタ?」 「………」 誤魔化すように取って付けて笑えば、そんなジャンをルキーノは思い切り眉をしかめて睨んだ。その目には、物騒な光が微かに灯っていて。や、やだ〜、ルキーノさんったら短気なんだから! 「わ、悪い、悪いって!帰ってきたんだな〜って思ったら、つい、ボーッとしちまって」 慌てて謝ると、ルキーノの目の光は少し穏やかなものに変わった。だが、吐き捨てるように毒づくのは忘れてはくれない。 「ケ・パッレ!お前がムショ帰りの病気にかかってどうする。寝ぼけてんじゃねえぞ、ラッキードッグ。何のためにわざわざ、車出したと思ってるんだ?」 「と、言われましてもー。俺、どういう目的で連れてこられたのか、さっぱりなんですケド」 「だから、今、その話をしてたんだよ。聞いてないお前が悪い」 「………ゴメンナサイ?」 すっぱりと言い切るルキーノは相変わらず尊大だった。見た目はそれはもう格別なまでに整えられても、中身までは変わるものではないらしい。そのことに、少しだけホッとする。 「お前、悪いと思ってないな。……まあ、いいさ。―――で、ジャン。好きな色はあるか?」 「好きな色?」 ルキーノの意図が掴めなくて、ジャンは眉を上げた。いきなり何の話かと思えば、色だって?咄嗟に答えることが出来なくて、黙ってしまう。 その沈黙を否定と捉えたのか、ルキーノは一つ頷くと、顎に手を当てジャンを上から下までくまなく見てくる。 「なんだ、ないのか。なら…そうだな、お前の髪なら暖色だとちょっとばかりきつすぎるな。やはりここは―――」 そのままルキーノは、ぶつぶつと何やら呪文のような言葉(どうやら色の名前らしい)を呟きだした。こちらを見る強い目線が、何だか裸にでもされているようで落ち着かない。 「ちょっ…ルキーノ!べ、別にないとは言ってねーよ」 「何だ、あるのか?なら言ってみろ」 キャッと手で肩を抱いたジャンの、ちょうど腰辺りを見ていたルキーノの目線が上がる。聞いてやるからと言わんばかりの言動は気になるが、それよりも先ほどの視線から解放されたことのほうが大事だった。 「好きな色だろ?イエロー!俺が好きなのは黄色だ」 「……イエロー、ね。…ふうん。なかなかいい趣味してるじゃないか」 もう一度じんねりと見られて、今度は一歩引いてしまった。 しかし、それからルキーノは何事もなかったように向き直ると、一瞥を寄越しジャンを促した。そして自分はさっさと歩き出してしまう。ジャンは慌ててその背中を追いかける。 だからどこに行くのか俺、聞いてないんだけど!という声はデイバンのざわめきの中に消えた。 そして、昼過ぎ。太陽は既に中天から少し西へと傾いていた。よろよろと歩く金髪の男と、颯爽としかし歩調は緩めに歩く赤い髪の男が二人、並んでいる。 「………疲れ、た…」 「なんだ、もうへばったのか?案外体力がないな」 「こういうのに体力は関係ないんじゃないですかね…」 先ほどまでの苦行を考えて、ジャンはげっそりする。女の買い物は長いというが、この男の買い物も長かった。いや、厳密にいえば、この男のものではなかったのだけれど。 「そうか?まあ、でもおかげで見られる格好になったじゃないか、ジャン」 ルキーノがそれはもう嬉しそうにジャンの姿を見る。その顔を見ていると、まあいいかな、と思えてくるから不思議だ。 ジャンが連れて行かれた先は服屋だった。今までのジャンなら尻込みするような立派な構えの。 馴染みなのか、ルキーノが入ると店主らしき男が慌てて揉み手と共に駆け寄ってくる。ルキーノがその男と話しているのを、横目で他人事のように見ていたジャンだったが、そうでないと気付くのは、こっちに来いと手招きをされた数分後のことだった。 それからは、男に指示されるまま、着せ替え人形のごとく色々着せられまくった。吊しの服なんてとか、本当はもっといいものをだなとか、ルキーノはそんな文句を言いながらも、次々と色んなスーツやシャツをジャンの前へ積んでいき、それを魔法のように選別する。 まあ、こんなもんだろう、と解放されたときには、何着着たのかなんて正直記憶にない。 「やはり、俺の見立ては間違ってないな。色もお前によく合ってるし、全体のシルエットもいい」 「……そんなもん?」 「ああ。後、足りないものは小物関係だが―――そんな時間はない、か」 「や、もう十分ですから」 時計を見て、残念そうに言うルキーノに、慌てて突っ込みを入れる。あんなのをもう一回経験するなら、せめて日を改めて欲しい。 「けど……シルエット、ねえ。俺には何が何だかさっぱりだ」 確かに動きやすいけど、と嘯けば、頭をこづかれて笑われた。 「スーツくらいきちんと自分で見立てられるようになっとけよ。コーサ・ノストラの男に、なりたいんだろう?」 「ま、その辺はおいおい、お勉強ってコトで」 「言ったな?ビシバシ鍛えてやるから、覚悟しろ」 「……お手柔らかにお願いしマス…」 二人でそんな話をしながら、待たせてある車まで歩く。このままホテルに戻って、それから幹部会議だ。だが、その前に昼食ってコトになるだろう。ああ、昼食ついでに何か甘い物もいいな…。 そんなことを考えたその時。目の端に飛び込んできた建物。あれは。 「なあ、ルキーノ。あそこ、ちょっと寄ってってもいいか?」 前を歩く男の裾をちょいちょいと引っ張る。 「寄るって……あそこのアイス屋か?」 通りの向かい側にあるそこは、アイスの店だった。 「そ。疲れたときには甘いもの、ってな」 「仕方ねえ幹部様だ。少しだけだぞ?」 苦笑するルキーノを連れ立って並んで店に入ると、目に飛び込んでくるショーケース。小規模ではあるがなかなかの品揃えである。 「ワオ!ワオワオ!すってきぃ〜」 ショーケースからは、すうっとキンキンに冷えた空気とうまそうな色合いがワルツを踊りながらジャンを誘惑してくる。 成人男性の二人連れは珍しいのか、店員がまじまじとこちらを眺めている。そんな店員のことは気にも留めず、ルキーノはジャンの後ろからショーケースを覗き込んだ。 「で、どれにするんだ?ジャン」 「へ。おごってくれんの?」 頭一つは上にあるルキーノの顔を見上げる。 「お前なあ……。さっき財布がないって泣き付いたのはどこのどいつだ?」 「あーソウデシタ…」 服屋で見るからに高そうなものばかり選ぶルキーノにちょっと冷や汗をかきながら「俺、財布持ってきてないんだけど?」と告白したのはさきほどのことだ。 そういや、と自分の着ている服を見る。さっきの代金はルキーノが払ってくれたのだろうか。任せとけ、と嫌味なほどに男前な顔で笑っていたが。まあ、ルキーノのことだ。しっかり領収書をもらって後でベルナルドに請求するのだろうけれど。 「で、どうするんだ。止めとくか?」 「待て待て待て!待てって!!」 こんな機会、逃してなるものかとばかりに大慌てでルキーノに待ったをかける。ルキーノはジャンを見て、ならさっさとしろと顎で促した。 「んじゃ、遠慮なく。そうだなー、チョコレートは決まりとして…ダブルでストロベリー…いやバニラも捨てがたい…」 どうせ大きい財布の男の金だ。思う存分使わせてもらおうと心に決め、選び出す。しかし、真剣に腕を組み悩むジャンを今度はルキーノが止めた。 「おい。この後、プランゾだ。そんな欲張るな。ほどほどにしとけ」 「えー」 「えーじゃねえ。お前、ホントにガキか?」 「大人だから心置きなく、欲しいものを食べんだよ」 「その台詞は、自分の財布を持ち歩いてからにするんだな」 抗議の声を上げてもスポンサーの意向に反論できるわけもなく、チョコレートをシングルで、とさっさとお買い上げされてしまった。こんなことなら、ちゃんと財布持ってくるんだった…。開けてもガムを買う金しか入ってないであろう財布を思い浮かべ、二度落胆する。 けれど、ルキーノから受け取ったアイスはひんやりと自己主張をしていて、手にした途端、相好が崩れた。疲れた体と精神は甘いものを大量に欲していて、心のままにがぶり、とかぶりついた。途端、口に広がる冷たさと甘さ。それが大変心地いい。あー、癒されるぅ〜。アイス最高。 「幸せそうな顔で食いやがって。ほら、口元。ついてるぞ」 そう言って、ルキーノの手がジャンの口元に伸びてきた。唇の端についたチョコレートのアイスを親指で丁寧に拭うと、肉厚の舌でそれを舐め取る。相変わらず男のジャンでもドキッとするセクシーな仕草だった。 (―――って!オイッ!?) 何をされたのか脳に届いた。触られた唇から体温が上がっていく。 思わず店員を見ると、音が立ちそうな勢いで顔を横に背け、思い切り目を逸らされた。おいっ、待て待て!待てって! ジャンは懸命に身振り手振りで違うのだと伝えようとしたが、彼はもう、ちらりともこちらを向いてはくれなかった。 他に客がいなかったのがジャンにとってラッキーと言えばラッキーだったが、店員にとってはこれ以上にない不幸だったことだろう。 「ジャン、どうした?行くぞ」 騒ぎの元の誰かさんはといえば、何も気付いていないのか、先にさっさとドアのところで待っている。ジャンは、肩を落として、けれどアイスだけはしっかりと握ってすごすごと出口へと向かう。もう、ここに来ることはないんだろうなと感じながら。 「なんだ?さっきまで上機嫌だったくせに」 「……べっつに」 憮然とした顔で立っていると、ルキーノが通りを確認しながら話しかけてきた。なんだも何も、ぜーんぶあんたのせいなんですけどね。 (だってあんな真似…あんな真…) 思い出しただけで、顔が赤くなるのがわかる。だから何なんだよ、これは! 「おい、食べないのか?」 じっとしている間に、アイスが溶けてジャンの指のほうにまで垂れそうになっていた。これはこの陽気によるものであって、上がった体温のせいだとは断じて思いたくない。 「食べます!食べますよ!!―――って何?あんた、もしかしてアイス、食いたいの?」 一口、食べてみる?とぷらぷら行儀悪くルキーノの目の前でコーンを振った。そんな冗談でも言ってないと、思考の縁に落ちて何かの蓋を開けそうな気がしたからだ。 呆れているのだろうルキーノが綺麗な形の眉を片方だけ上げて、こちらを見る。それから考え出す仕草をすると、不意にジャンの左肩に右手を乗せた。 「そうだな。もらおうか」 「へ?」 そう、宣言をすると、ルキーノは左手をジャンのコーンを持つ手に重ねた。自分とは別の体温。今まで、それこそあの手コキの時ですらこんなに近づいたことはないくらいに寄せられる、ルキーノの顔。そして続いて開くデカイ口が目に入る。そのまま、アイスに噛みつく様すら絵になっていて、見惚れてしまう。 赤い癖っ毛がジャンの頬を撫でて離れ、ルキーノが口回りについたチョコレートアイスをぺろりと口と同じビッグサイズの舌が舐め取るまで、ジャンは一瞬たりとも瞬きが出来なかった。 「ああ。うまいな」 「―――っ!」 お前なあ!とか男同士で何でこんな動揺するんだよ!とか、ルキーノにも自分にもたくさん言いたいことはあるのに、喉で全てが絡まってしまったように止まってしまって、一つとして言葉にならない。 「アイスは車に持ち込むなよ?」 「わ、わかってるって!」 呆然としていたからだろう、ルキーノが冗談交じりの声でからかってくる。くそっ頬とか赤くなってねえだろうな。 ルキーノの様子を伺って見るも、いつもと変わらない感じで、動揺しているのは自分だけなのかと思った。そう考えると何だか悔しくて、夢中でアイスを食べてるふりをして必死に落ち着きを取り戻す。本当はもう、アイスの味なんて、わからなくなってたんだけど。 そんなジャンをルキーノは面白そうに見ている。 「食べきれないなら、残り、俺が食べてやろうか」 「オコトワリします。……さっきだってあんた、全部飲み込むんじゃねえかって勢いでかぶりつきやがって」 「ちゃんと、一口だっただろ?」 「あんなデカイの、一口って認めません」 ようやく戻ってきた自分のテンポに、ジャンはホッとした。そして、最後のコーンを口にひょいっと放り込んで、バリバリと音を立てて噛み砕くと、黒服の部下の開ける後部席に乗り込んだ。 その後、続いて反対側に回ったルキーノが乗り込むと、重みで車が僅かに傾いた。 「ワオ。ルキーノ、アンタ重すぎんじゃね?少しは体重減らしたほうがいいかもヨ?」 「カヴォロ。俺のは筋肉だからいいんだよ。大体、お前が軽すぎるんだろ、ほっそい腰しやがって。俺が担いで歩き回っても荷物にもならないんじゃないか?」 「なっ!さすがにそこまで軽くねえよ!」 「どうだか。何ならホントに担いで部屋まで案内してやろうか?」 「いらねー。全力で遠慮します」 そう返すと、分厚い唇の端を上げてルキーノは笑ったようだった。あんまり見ていると先ほどのことを思い出しそうで、慌てて目を逸らす。 マジソン刑務所を出てから―――いや、あの手紙を受け取ってからこっち、この赤毛の男と随分と距離が近くなったと思う。それはもう、こうして一緒にいて、軽口をたたき合うのが当たり前なほどに。 (たった数日のこと、なのにな) ちらりと、車のガラスに映った赤毛の男を見た。 今日はこの後、食事を取って幹部会議。明日からの方針を決めることになるはずだ。 そうなると、こうやってルキーノと話すことも少なくなるかも知れない。幹部の仕事、と言うとどうもピンと来ないが、それに専念することになるのだろう。 離れる距離を思い、少しだけ寂しく感じる自分がいる。 だけど、その感傷に名前を付けてはいけない気がしている。それは最近の自分のリアクションに対する答えと同じものだと、頭のどこかが言っていて。先ほどのチョコレートアイスくらい甘くて、けれどルキーノに触れられたときと似ている、熱い何か。 だから、ジャンは考えないことにした。 とりあえずは、ホテルに着いてから。今の問題はこれからのデイバンと、ボスの不在、その二つだ。これから来るであろう怒濤の日々を予感しながら、ジャンは大きくあくびをする。 「コラ。あくびなんかするな」 「へいへーい」 目聡く見つけられ注意されることすら何だか嬉しく感じて、色々と重傷だなと思う。それと共に、腹の中で先ほどのチョコレートアイスがどろりと溶けて、今日ルキーノが触ったところを中心に、甘い何かがさらに染み込んでいく気がした。 |
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2009.09.24 |
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