Buon San Valentino



 引き出しを開け閉めしながら、ジャンはあーとかうーとか言葉にならない声を出し悩んでいた。机の上には相も変わらず大量の書類――と、カードの山。クリスマスと同じく、一年の内で最も紙が消費される季節がやって来たのだ。当日となったバレンタインに対し、続々と紙の山がCR:5の本部に押し寄せてきている。
 だがジャンの視線はそこから少し外れた場所、角度にして20度ばかりマイナスした、引き出しの中を見るばかりだ。
 そこには、ちょこんとラッピングされた箱が一つ。リボンはくるくると豪勢に巻かれているが落ち着いたデザインで、一見しただけではプレゼントとしかわからないような代物である。
 それを見つめては一息つくと視線をはずし、そしてまた戻す。そんなことを繰り返しているのだから、前の書類もカードの返事も進むはずがなく。
「あー、止めだ止め!」
 誰もいないことをいいことに大声を上げて、ひょいっと悩みの種を持ち上げた。誘われたからって、やっぱりこんなことをするのは自分の柄じゃない。
 不意に自分を訪ねてきた少女を思い出す。どこから聞きつけたのか、料理が出来るのなら教えて欲しい。ロザーリアがそんな願いと共に顔を見せたのは先週のこと。屋敷の者には内緒で手作りのチョコレートを作りたいのだと、それはもう熱心に真剣な表情で頼んできた。
 ただ、時期が時期だ。時間が取れなくて凝ったものなんて作れなかった。出来たのは、溶かして固めただけの物。それをこんな風にラッピングしたのは、少女があまりにも真剣だったからだ。達成感と味にひどく喜んでいた少女の顔を思い出すと心も温まるが、自分の手元にあるとなれば、話は別だ。
 冗談で渡すのはいい。やるよと気軽に渡せたらどんなによいだろう。だが形はうっかりハートマークで、開けた途端ニヤニヤとこちらを見られでもしたら、全速力で逃げ出したくなること請け合いだ。
(よし、もうこれは食べちまおう)
 そうと決めれば、即行動するのが一番いい。ばりっと包装を破いてしまうと残念なようなはたまたこれでよかったような変な気分になるが、これでもう後には引けない。白い箱に入った、大きなハートマークのチョコレート。何ともはやベタなものだが、これくらいの方がわかりやすくていいのかも知れない――何かを伝えるためには。
 ジャンはチョコレートを直に掴むと、口を大きく開けてかぶりついた。一口ではとてもじゃないが入りきらない。甘いな、と月並みな感想が脳裏をよぎった時だ。
 ――ノックの音と、間髪入れずドアが開いた。
 こんな開け方をするヤツなんて、一人しかいない。まるで見ていたかのようなタイミングに、ジャンは固まった。予想通り、赤毛の男が大股で闊歩しながら入ってくる。
 視線は手にある書類に落とされていたようだが、顔を上げてこちらを見ると、眉が跳ね上がった。
「………ああ、ヴァレンタインだもんな」
 二人の間にしばらく沈黙が落ちる。何なんですか、この無言の圧力。罰が悪くなってしまって、もそもそとチョコを食べることしか出来ない。ロザーリアが持ってきたそれは、何とか言ういいチョコレートだったはずだが、既に甘さだけが口に残る。
 誰からだ? とか聞いてくれりゃいいのに。そんなことを考えていたら、いつの間にかルキーノが側に来ていた。差す影に『何?』と視線だけで訊ねたら、大きな口が開いた。そのままばくり、とジャンが食べる反対側にかぶりついてきた。
 慌てて口を開くが、ルキーノの綺麗に並んだ歯に噛まれていて、チョコは落ちない。何すんだよとか、悪態がぐるぐると回るが言葉には出来なかった。なぜなら、元々このチョコレートはルキーノに渡そうか迷っていた物だったのだから。
 バキンッと音がして、チョコが割れた。大方は男の口に行ってしまって、ジャンの元には残らない。結局、ゴクンと喉仏が動く様までまじまじと眺めてしまった。またも沈黙に包まれる。そしてそれを破ったのは、今度もルキーノだった。
「――悪かった」
 書類とカードを置いて、そんな台詞を吐いたかと思うと、さっきと同じように大股で――けれど逃げるように去って行く。どうしていいのかわからず、チョコレートを飲み込むまで、じいっと無言でその背中を見送ってしまった。
 チョコの甘さが喉を通り過ぎると、それが潤滑油にでもなったみたいにようやく言葉が出た。
「悪かった、ってなんだよ…」
 視線を手元に落としたら、誰かわからない紳士達からのカードの中に一枚、やたらと目を惹くものがあった。何気なくそれを開けてみる。
「………………っ!」
 思わず椅子を蹴飛ばした。それから掛けておいたコートとマフラーをひっつかんで、執務室を飛び出す。カードをポケットに丁寧にしまい込むことだけは忘れずに。
 廊下に出ても、既にあの色男の姿はない。だがここは本部。そしてジャンの渾名は「ラッキードッグ」だ。必ず見つけてみせる。そしてちゃんと、あれはアンタに渡す物だった、と伝えるのだ。
 ポケットの中の勇気を握りしめ、ジャンは駆け出す。
 カードには一言『Sono innamorato di te.(あなたに夢中です)』と書かれていた。






バレンタイン小話。
通販のペーパー用から。


BACK