愛と青春の日々
ルキーノの女装を含んでいます。苦手な方はご注意ください。


今日は朝から歩きっぱなし立ちっぱなしの日だった。足が棒のよう、というのはこんな時なんだろうな、と思う。
ジャンは動きたくないと訴える足を叱咤しながら、我が家へと帰ってきた。ネクタイを緩めて歩き、頭はもうさっさとベッドへとダイブすることばかり考える。
そんな状況の中、ふと顔を上げると、明かりが見えた。ジャンの顔に知らず知らず笑みが上る。
家から漏れる明かり。そして、この家に住むのは二人。ジャンがここにいるということは、もう一人が帰ってきている、ということだ。
先ほどまであんなに重かった足が嘘のように軽くなる。スキップでも踏みそうな気分で扉のノブに手をかけると、弾む気持ちを抑えるように扉の前で足を止めた。そして、コホンと咳を一つついた。今まで慣れたことのない言葉だから、上手く出てくるか心配だったのだ。
大きく息を吸うと、ジャンは扉を開けた。
「ただい………」
「おう、帰ったのか」
それはいつもの我が家のはずだった。違うことと言えば、同居人である(この場合『同棲』が正しいのかも知れないが)ルキーノが先に帰っていることと、そして ――
車の音でも聞こえていたのだろう。玄関に仁王立ちで立ち塞がるルキーノの姿をもう一度目に入れて、ジャンはげんなりと肩を落とした。今は夜中。よく、悲鳴を上げなかった物だと自分を褒めたくなった。…むしろ、なぜ気絶してしまわなかったのかと叱咤したいかも知れない。
精神的疲労が量を増して、ジャンの上にのしかかってくるのを感じる。軽くなったはずの体が、どっと重くなった。
これは突っ込むべきなのだろうかと考えて、心の内で首を振る。いや、出来れば触れたくない。そう、全力でここから逃げ出したい。だが、今、ジャンの帰る場所は、ここ以外どこにもない。そう、自分で決めたのだから。
拒否反応を起こす目を明後日の方向に向けて、首から下は入らないように気をつける。それから、上がりたくないと訴える右腕を何とか持ち上げると、ジャンはそっとルキーノを指さした。
「………何だよ、それ」
そう呟くのがやっとだった。ルキーノの方はいつものように傲慢で偉そうな態度で腰に腕を当てると、片眉を綺麗に上げる。
相変わらずいい男だ。その仕草すら絵になるほどの。だがしかし、普段ならば見惚れるくらい流暢な仕草も、今は道化にしか見えない。ジャンは段々泣きたくなってきた。よく、ベッドで泣かせたいとか泣き顔が見たいとか言われるが、これはそのプレイの一環なんだろうか。泣いてもいい。泣かされてもいいから、むしろそうであってくれ!
「あん?おまえの目は曇ってるのか?」
訝しげに見られる。いやいやいや、それはむしろこっちの台詞だっつうの!
ルキーノは呆れたようにジャンを見ると、おもむろに肩紐を引っ張った。そう肩紐、だ。ピンクにフリルの付いたそれは、ただでさえルキーノのような大男が着ていては可愛くない…どころか出来れば見たくない。なのに、この視覚の暴力はどういうことだろう。
「――ご覧の通りさ。男の夢、ってヤツだろ?」
ニヤリと口角を上げた口で偉そうに自信満々に言われたあげく、見下ろされた。
そう、男の夢、なのだろう。キレーなお姉ちゃんやかっわいい女の子が着ていたのならば。もう一度、嫌がる目を瞑ってから見開いて、脳裏を素通りさせるように見る。
ルキーノが着ているのは、ピンク色のエプロンだった。しかも何故かフリルがたくさんついた、体にあう特別製(こんなでかいサイズのエプロンがそこらで売ってるだなんて、考えたくもない。もし、そんな事実があるなら部下達総出で製造会社を締め上げてやる)の物だ。
そのエプロンから伸びた足は筋肉に覆われていて、太かった。すね毛の処理すらされていないたくましい脚。コンコンとやっぱり力こぶも出そうな右腕に持ったレードルで肩を叩くその様は、ちぐはぐどころか人を昏倒させる凶器にも値する。
ルキーノのような男が、エプロンだけを身に纏って他には何も着ていないというこの事実。こんな男と玄関で顔を合わせて、発狂しなかった自分は大したものだと思う。
記憶として脳に映り込みそうになって、ジャンの腕に鳥肌が立った。この男に突っ込まれてイけるようになった体だが、まだまだノーマルの嗜好は残っていたらしいと、ここは安心しておくところなのだろうか。
「おい、コラ。ボーッとしてんじゃねえよ」
コツン、とレードルで頭を叩かれた。もう一度、視線を上げるとジャンは呟いた。
「………泣きてえ…」
「光栄だな。それは嬉しくて、か?」
「……わかって、んだろ…」
大声を張り上げる気力もなく、肩を落とす。やれやれ、と目の前の男は息をついた。
「ジャン。おまえ、昨日の夜のこと、覚えてるか?」
「…はあ?昨日の夜?」
昨日、何かあっただろうか。のろのろと気力の全部失せた体で考えてみる。昨日の夜は今日と同じように帰宅して飯を食べて、風呂に入ってそれから……ギシギシアンアン。こう言っちゃなんだが、いつも通りの生活。
「そこだ」
まるでジャンの思考を読んだかのように、ルキーノが言った。そこってことはギシギシアンアン、のところだろうか?でも、昨日は変なプレイはしていないはずだし、しいて言うならば――
そこで、昨日の自分の発言を思い出したジャンはさーっと顔の血の気が引くのを感じた。
「思い出したようだな?じゃあ何で俺がこんな格好をしているのか、わかるよな」
肉食獣が獲物を捕縛したようなそんな獰猛な笑みが目の前に浮かんでいる。逆にジャンは回れ右をしたくなった。が、その行動はお見通しだったのだろう。後ろを向いたところで、ひょいっと襟首を捕まえられる。
「ぎゃ!お、犯されるうううう」
「よくわかってるじゃないか。だが、言葉は正しく使わんとな」
ルキーノが体をかがめると、よっという掛け声と共にジャンの体は宙へと浮いた。ルキーノの肩口に抱え上げられたのだ。
じたばたと動いてみるが、まるで打ち上げられた魚のような動きしかできない。その間に、男の体は悠々と歩き出した。もちろん、ジャンを連れて。
「――そこは、イイ目を見せてもらえる、だろう?大丈夫。ちゃあんとおまえの分のエプロンは、寝室に用意してあるさ」
何でそんなとこに、とか、大丈夫って何が!?とか、降ろせとかそんな台詞を吐きたくなるが、進行方向と逆に担ぎ上げられたジャンの目にルキーノの背中が飛び込んでくる。それから、言いたくはないがその下も。
おかげで、口から飛び出したのは「ぎょえー」という叫びだけだった。
それをいいことに、のっしのっしと猛獣は真っ直ぐに自分のテリトリーへと向かいだす。
上機嫌に鼻歌なんぞを歌い出した男の、筋肉に覆われた尻をぼんやりと眺めながら、ジャンは自分のこの後を考え……そして昨日、『アンタが着れば着てやるよ』なんて言った自分を呪いたくなったのだった。


ラブコメ!(多分)
2010.05.29up


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