ポーカーフェイス 3
*ポーカーの相手が名前はありませんがオリキャラです。苦手な方はご注意下さい


左側にある横顔を見下ろす。
端正なラインを描くその顔は眼を細めて口の端を上げているけれど、目の奥は笑っていない。しかし、身体から緊張というものは抜けていて――まるでそう、腹を満たした肉食獣がゆったりと構えているような、そんな雰囲気だった。
(……いつものルキーノだ)
ジャンは気付かれないように、そっと溜息をついた。
さきほどルキーノの後ろ姿を見たときは何かあったのかとやきもきさせられたが、話をしてみると案外落ち着いていて、もしかして心配したようなことはなかったのだろうかと少々拍子抜けをしたものだ。
一応、ルキーノと周囲の話を総合して、ある程度の事情は飲み込めたものの、まだ腑に落ちない点はいくつかある。
ルキーノという男の沸点は低いことは低いのだが、よほどの侮蔑の言葉をかけられたならともかく、そう簡単に挑発に乗るはずのない―――と思う。多分。今は休暇中だし。自信ないけど。
それに―――ちらりとジャンとは反対側で、ルキーノに一生懸命、秋波を送っている女性を見た。
(何か騒ぎがあったんなら、こういうのが付いてたりは、しないよなあ…)
正直言って、激高したルキーノは恐い。そんなルキーノに相対したときはジャンだってちびりそうになる。それがましてや女性ともなると、よほど度胸があったとしても、遠巻きに眺めるのがやっとだろう。ましてや―――と、今度はルキーノが見据える男に視線を送る。
なよっとした、しかしそこそこ見目のいい男が、品の悪い笑いを口に浮かべている。ヤクザものにしては、そんな臭いを感じないし、かといって全くの堅気って訳ではなさそうだ。
けれど、対面のコイツは、ルキーノみたいにデカくて風格はあるわ顔に傷もあるわ、着ている服は一式オーダーメイドの一点ものな上につけている装飾品まで一級品と来る、そんなどう見ても堅気ではありませんという看板をつけている男に、ケンカを売れるような輩には到底見えない。
けれど。だとしたら、髪を逆立てるようなあのルキーノの雰囲気は何だったのだろうか。
(わっけわかんねー!何があったんだよ、ルキーノ!)
ジャンは綺麗に撫でつけられた髪―――横の男の手によるものだ―――をかきむしりたいような気持ちになる。なるだけでやらないけどな、後が怖いし。
そこでふと、視界の端で祈るように手を組み、こちらを見ている女性に気がついた。
イタリア系だろうか?ルキーノを食い入るよう、懸命に見つめているが、そこには他の女性のような色事めいたものは一切感じない。そこが違和感だった。すがりつくような、それでいて今にも崩れ落ちそうな彼女は、悲愴な顔を浮かべている。
その姿を見て、ジャンの脳裏にひらめくものがあった。だが、それが形になる前にルキーノの声に打ち破られる。
「さて、オープナーはあんただが、先に俺が賭けさせてもらう」
「は!?何を言っているんだ、あんた。大体、アンティもまだ……」
「アンティ?それは払うさ。ほら」
ルキーノはコインを一枚掴むと、親指ではじき飛ばした。コインは放射線を描き、ポッドへと着地する。嫌になるほど絵になる仕草だ。
「ちまちました勝負にちと、飽きちまったんでな。―――オールインだ」
そう告げると、ルキーノは先ほどジャンが出したコインと、テーブル・ステークスを全額差し出した。観客から、どよめきの声が上がる。
「簡単な話だろ?俺は全額賭ける。後は、あんたが受けるかどうかだ」
「正気か?それに、あんたが全額賭けたところで俺のステークスにはまだ到底届かな…」
「おっと、忘れてた」
ルキーノは男の言葉を右手の動作一つで止めて、そのまま左の手首へと寄せた。そこにはルキーノ愛用のブレゲが腕にしっくりと馴染んでいる。
それを見る者全てが惹きつけられるような仕草で外すと、ゴトンと音を立ててテーブルの上へと置いた。
「これも追加だ」
「な……!」
さらに観客のざわめきが増す。当たり前だ。ルキーノがつけている物だからいい物だろうと確信はしていたが、値段を聞いて卒倒しそうになったことはジャンの記憶に新しい。
「で、あんたは、どうするんだ?」
テーブルに肘をついて指を組み、唇の端を持ち上げて酷薄に笑うルキーノは、さながら何かの主役のようだった―――もちろんマフィア物の。
(ははあん。大体読めてきたぜ…)
悠然とした態度と、何より相手が引けない状況を作ることによって、勝負をしかけようというのだろう。ハンドが配られる前のアンティの段階ならば、もしや―――。
男がゴクリと音を立てて唾を飲み込んだ。今、脳内では必死に確率を考えているはずだ。計算と打算と、理性と欲が絡み合いながら。男の目は、テーブル中央のポッドへと釘付けだった。
しばしの時間が流れる。男の唇が動いた。
「………俺…は、だ。オープニングベットは俺からだ―――ハンドを見てから判断しても、構わないんだろ」
「ああ。それはそっちの権利だ。どうぞ?」
ワオ。狡猾というか度胸ねえなというか、いやむしろここは理性がちゃんと勝ったと褒めるべきか。どちらにしても、これは少し予想外だ。ちゃんと相手を見てふっかけてたって話も、あながち嘘ではないらしい。
しかし、ルキーノは余裕の姿勢を崩さない。笑顔を顔に貼り付けたまま、男を見ている。ジャンのような至近距離だからわかるが、目の奥は別の意図を持って煌めいている。
(怒ってます怒ってます。シナリオに変更はないって訳ね)
ルキーノが顎でディーラーを促す。場に飲まれていた(というかこの場合、ルキーノに、だが)ディーラーもようやく自分の仕事を思い出したらしい。慌ててシャッフルをして、両方の前に五枚ずつカードを配った。
男が目の前のカードを掴んで、急いで手札を確かめる。にやり、とその顔が音を立ててつり上がった。
「―――コール、だ」
受けた…がしかし、これは。ルキーノを取り巻くギャラリー(主に女性)から溜息が漏れる。離れた場所で勝負を見守っている女の顔色は、紙のように真っ白に変わる。
(そりゃあなあ、どう見ても『いいハンドでーす』って顔に書いてるもんな、あいつ)
それから、どうするのかとルキーノを伺ってみれば、配られたカードにも手をつけていない。どうしたんだよ、と肘で突いてやれば、片眉を上げて『まあ、見てろ』と笑いかけられた。
「で、あんたは?今更フォルドとかそんなのは無しだよな?」
「ああ。受けるぜ?」
けれど、ルキーノは動かない。男はそんなルキーノをせき立てるように、指でテーブルをせわしなく叩く。
「………っ。早くしろよ。それとも、ハンドが変わるのでも待ってるのか?」
「別にそんなつもりはないさ。ただ―――ハンドの確認もドローも必要ない」
そう言って、ルキーノはテーブルを人差し指で二回叩いた。スタンド・パットの合図だ。
「なっ!?そんな…カードを見もしないって言うのか!?それで勝負になるわけがないだろ!」
「なるさ。……ああ。言っておくが、イカサマじゃないぜ?それは三流以下のヤロウのすることだ。俺はこのゲーム、一度もカードに触れない。オープン以外、な」
手のひらを広げ、種も仕掛けもないことを見せるルキーノ。男は言葉の余りの内容に、自分が侮辱されたことにも気が付いていないようだった。
ざわり、と観客がまた騒がしくなる。今回は、ほぼ手持ちの全財産を賭けたゲーム。なのにルキーノの仕掛けたブラフは考えられないものだ。普通のゲームでだってそんなことはあり得ない。
現に周りからは「何を考えてるんだ!?」「みすみす勝負を捨てる気か、あの男」「自棄になったんじゃないですか?」などと囀る声が聞こえてくる。ま、普通そう思うわな。俺だって―――昔の俺ならルキーノは狂っちまったのかと思う。けれど、こんな状況、二人でロイヤルフォレスト・パークに突っ込んだ時を考えれば、何でもない。ちょっと心臓がドキドキ言ってますけど。それはまあ、ご愛敬って事で。
ルキーノは観客に対しては少々芝居がかった様子で肩をすくめたが、固まったまま動かない男には獰猛な笑みを浮かべて挑発する。
「聞こえなかったか?バンビーノ。俺は、このまま行くと言ってるんだよ」
「…………は、はははははっっ!負け続けて頭でもおかしくなったか?この赤毛!そんなことしても勝てるわけないだろ!?」
「そうかな?なら、お前の、そのせこいハンドを見せてみろよ」
高揚した声で高笑い嘲笑を投げかける男に対し、静かに怒りを燃やすルキーノ。
(煽りに煽りまくってんなあ…こりゃ相当溜めてたのね……ん?)
左手で優雅に頬杖をつくルキーノの右手が、テーブルの下という周囲から見えない死角でジャンの左手に触れた。ジャンはルキーノの横顔を伺うが、顔色も何も変わっていない。だが、ジャンに触る手は汗で濡れている。
見える表情は、自信と余裕に満ちあふれているというのに。何だかジャンはおかしくなった。はいはい、と心の中で答えて、手を伸ばした。
(ルキーノ。あんたには俺が―――ラッキードッグがついてるんだぜ?)
そう、伝わるように、ジャンはルキーノの手を優しく包み込んだ。まあ、包み込むというにはちょっと足りないくらいルキーノの指が出てしまうのは、何もかもビッグサイズの男だから仕方ない、許してもらおう。そして、自分の手も濡れていることも見逃してほしい。
一瞬、ルキーノの手は固まった。が、それから柔らかく握り返される。
「ははっ…ははははははっ!そんなに言うなら、俺のほうからショーダウンと行こうじゃないか!」
まるでヤクでも決めてるようなテンションで、男が立ち上がる。そしておもむろに、手にあるカードをテーブルに叩きつけた。
「ストレートフラッシュ。スペードの2から6だ」
確かにこれは、自信を裏付けるハンドだ。まずもって覆せないほどの。
男はルキーノを、どうだとばかりに睨みつける。それでもルキーノの顔は変わらない。テーブル下でジャンの手を握る力は少し強くなったけれど。
勢いのままにポッドの掛け金を引き寄せようとする男を、ルキーノは静かな声で止めた。
「それで勝ったつもりか?よく言うだろう、勝負は終わるまでわからない、ってな」
「はっ負け惜しみを」
諦める様子のないルキーノを、男は鼻で笑う。ルキーノは自信満々な表情で空いている左手をカードに添え、宣言をした。
「―――ショーダウン」



2009.07.21
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